さがみはら333トリビア~歴史編

歴史編

131 相模原最初の図書館は上溝にあった
132 約3,5万年前にすでに相模原に人が住んでいた
133 戦国時代に現在の相模原市を治めていたのは北条家である
134 上溝夏祭りは江戸時代から始まった
135 鳥屋の獅子舞は300年以上続いている
136 相模原に伝わる『てるて姫伝説』で、てるて姫が恋に落ちた相手は敵方の侍大将・小栗判官(おぐりはんがん)である
137 相模原に伝わる『てるて姫伝説』で、てるて姫が生まれたとされる場所は横山・上溝周辺である
138 てるて姫は横山台の榎神社に祭られている
139 相模原市が相模原町だったころ、座間地域が含まれていたことがある
140 日本書紀に、675年、相模国高倉郡で三つ子の男の子が生まれたという記述がある
141 江戸時代の上九沢には農民が守るべき決まりごとがあり、その中に相撲をとってはいけないというルールがあった
142 江戸時代の上九沢には農民が守るべき決まりごとがあり、その中に酒を飲んではいけないというルールがあった
143 江戸時代の上九沢には農民が守るべき決まりごとがあり、その中に鳥が落ちていたら助けなさいというルールがあった
144 田名は1860年に大洪水で堤防が崩れてしまったが、江成久兵衛が家財をほとんど使い果たして作り直した
145 相模原は養蚕で有名だった田名に、養蚕の守り神である金色姫がまつられている
146 第1回から25回続けて衆議院議員に当選した『議会政治の父』尾崎咢堂(がくどう)は緑区又野生まれである
147 南多摩と津久井を結ぶ南津電気鉄道(なんしんでんきてつどう)という幻の鉄道計画があった
148 大正時代、淵野辺~田名をむすぶ『相武電気鉄道』計画があった
149 津久井には沼本ダムという幻のダムが存在する
150 津久井には武田信玄が北条を攻めるために切り開いたと言われる『信玄道』がある
151 武田信玄が『信玄道』を通り北条に勝利した合戦を『三増合戦』という
152 戦国時代~江戸時代にかけて『津久井城』があった
153 相武台は天皇が名付け親である
154 村富神社は、周辺の田畑の豊作を願って建てられた稲荷神社である
155 その昔、相武台より、村富神社の松の木を目指し、進んだことから『村富線』という名前の道となった
156 大正時代、橋本に『橋本競馬場』があった
157 大河ドラマの女城主『井伊直虎』が養育した『井伊直政』(大河では人気俳優菅田将暉さんが演じる予定)が相模原の津久井城を攻めていた
158 緑区小原の小原宿本陣は、県内唯一残る本陣の建物である
159 明治15年に測量された日本初の近代測量の基線の最初が、相模原-座間間の相模野基線であった
160 当時の相模原町ができた時は、町の面積としては日本最大規模だった
161 相模原では各地でワサビが作られていて、特に南区下溝は『溝ワサビ』といって有名だった
162 南区麻溝では一時ゴボウ作りが盛んで、ゴボウ音頭まであって唄に合わせて踊りもあった
163 南区上鶴間では、短い期間だがスイカがたくさん作られていて、東京に出荷されていた
164 中央区共和の新田稲荷神社境内には、行方不明の人が出るとお参りにいく『呼ばわり山』がある
165 南区上鶴間の谷口陸橋の下には、養蚕の神として一世を風靡した『蚕守(かいこもり)稲荷神社』がある
166 江戸時代、津久井方面から江戸に通じる街道は『絹の道』と呼ばれていた
167 田名には鎌倉時代、田名氏という武士がいたという説明看板が『田名小交差点』に立っている
168 鎌倉時代に起きた和田合戦で有名な和田義盛にちなんだ和田坂という坂が上溝にある
169 緑区相原には粟飯原(あいはら)氏という名前の武士がいた
170 清新の地名の由来は原清兵衛が開墾した清兵衛新田の略である
171 星ヶ丘の由来は陸軍のしるしである星にちなんだものである
172 淵野辺には淵辺義博という武士がいた
173 鶴間の地名は源義経あるいは源頼朝が『鶴が舞う』のを見たことに由来しているという伝承がある
174 磯部には磯部城という城があった
175 陽光台の辺りで草競馬が行われていた
176 NHK連続ドラマの『花子とアン』で仲間由紀恵さんが演じていた柳原 燁子さんは、石老山のお寺に埋葬されている
177 大河ドラマ真田丸で北条家の外交担当の重臣で、たびたび登場した坂部岡江雪斎(のちの岡野氏)の歴代の墓が東淵野辺の龍像寺にある
178 一遍上人が建立し、時宗の総本山だったこともある無量光寺が当麻にある
179 無量光寺の住職が光明学園相模原高校を作った
180 相模原市役所は昔、上溝にあった